第3回:救えた?話
七詞:
この話を思いついたから、ぼくの虚無感がさらに虚無に近づいたみたいだよ!
今日は、今日も虚無、七詞です!
睦眼:
「終わる日の話」の後のエンディングで、私の眼が六つから一つに戻る。
それが次の「救う」に通ずる。
七詞:
「終る日の話」で最後にぼくが「じゃあ、ぼくってさちのなんだったんだろう…?」って入ってくると、そのつながりが微妙だってさ。
詰まり、さちと睦眼さんの間にお邪魔虫は入ってくるなって云う…!
睦眼:
私は、そこまでは云わないが、作者の思いとしてはそうなんだろうな。
七詞:
ていうかさ、作者の性癖も中々だよね。歪もそうだったけれど人と人のまともな恋愛が描かれていないっていうね。
七詞:
まぁいいや。
とにかく、この話は「さちが死なないためには生まれない」と云うことが救いであるって云う、これまた極論を。
睦眼:
生まれた時から死にたかったさちが、幸せになることは生まれないことだ。
私は、人の外に居る猫だ。だから時間を遡ることができる。
そして、さちに生まれない選択肢を与えた。
睦眼:
猫だろうが何だろうが、愛する人には何でもしてあげたいだろう?
七詞:
もしかしたら生き物の中でもぬいぐるみって結構特殊なのかも。
さちのこともよくわかんないしー。
睦眼:
人の心を旅する猫と云う動物も特殊かも知れないが、寿命のないぬいぐるみと云う動物も特殊かも知れないな。
七詞:
確かに、他のほとんどの生き物と共通点はないねぇ。
あ、ねぇねぇ睦眼さん、これを聞くのは野暮かも知れないけれど、さちって何で自分の名前じゃなくって「さち」って名乗ってたかは知ってる?
睦眼:
人間の文化の中に、子供の幸せを願って名を付けると云う文化がある。
例えば、可憐な少女に育って欲しければ「カレン」優しい子に育って欲しければ「優実」、美しく育って欲しければ花の名を付けるなど、多種ある。
だが何も子供の幸せと成長を願う。
七詞:
さちは、自らを「幸せになって欲しいと思って名付けられた名前」としてさちって名乗ってた訳だね。詰まり、本名は違うと。
睦眼:
本名は、「家の外に出ていくための名」であり、子の成長や未来を願う名前ではなかったのだ。
睦眼:
そういう環境で生き続けなければならないのは、苦痛だ。死にたいと考えるのは普通だろう。「生まれた意味がない」のだから。
七詞:
ま、ぼくもそうだけどね。
でもぬいぐるみってそういうものだからなぁ。
睦眼:
自分以外は、幸せを願う誰かがいた。
自分には、いなかった。それがさちだ。
さちの幸せを願うのは、さちだけ。
睦眼:
まぁ、私のことはイマジナリィ・フレンドだと思っていたみたいだからあまり意味はないだろう。
睦眼:
さちは、誰にも望まれなかったから、何も望まない子だった。「死」と云う一つのもの以外は。
七詞:
睦眼さんは、生まれないと云う選択肢を与えて、それを受け取ったことに、哀しいって思う? だってもう、睦眼さんはさちに会えないんだよね。
さちが生まれないってことは、さちの世界にも住めないってことで。
睦眼:
ああ。確かに、死んださちの世界で私は生きると決めていた。
しかし、人が死んだら軈てその世界もなくなる。「余韻」と云うやつで、暫く世界が存続しているにすぎない。
七詞:
ってことは、睦眼さんも結局死んじゃうの? さちの世界にいるってことは。
睦眼:
そうだな。
他の人間の世界に移り住めば、生き永らえることはできるだろうが。
七詞:
それでも、睦眼さんはさちの世界に居たいんだね。
自分が死ぬことが解っていても。
睦眼:
死ぬと云うより消滅ーーだな。
猫とはそういうものだ。
七詞:
なるほど…。
あ、睦眼さんの惚気を聞いてたら時間になっちゃった!またね!