第3回:三界の空模様

    語り部:
    さて、本当は最後の最後に呼ぶべきなのだろうが。
    セピア:
    そうね。壮大なネタバレだと思うわ。
    語り部:
    ヤァ、この世界の主、セピア。
    セピア:
    こんにちわ。御機嫌よう。
    お花さん:
    こんにちは。初めまして、語り部さん。
    語り部:
    こんにちは。今日は植木鉢に入ってのご登場だね。
    お花さん:
    俺は移動できないからね。
    語り部:
    お花さんは、固有名詞もなければ唯一擬人化もされないんだね。
    セピア:
    そうよ。私が私であり、「狂っている」とレッテルを貼られている理由が、お花さんを愛しているからなんだもの。
    語り部:
    と、いうと?
    セピア:
    私は、人間。でもお花さんを愛してしまった。
    それが「狂い」で「恥」だとされたのね。だから私は親にお花さんを摘まれたの。
    それって、人間で云えば愛する人を殺されたことに等しいのよ。
    お花さん:
    俺とお話をすることすら、異常だと云われているね。
    セピア:
    本当に、ひどいわ。
    私の幸せは私の幸せ。他の誰にも否定されることはないのに。
    語り部:
    残念ながら、「ふつう」は時には凶器になるね。
    セピア:
    本当に。
    ーーお花さんが摘まれて、私は、幸せになったと思う?
    語り部:
    それは、読者さんの想像に任せよう。
    お花さん:
    そうだね。答えを出さないというのも、幸せを自分で定義すべき歪の物語に必要かもね。
    セピア:
    そうよ。幸せは自分で定義するの。
    だから自分が不幸だって思っている人は自分の幸せを定義するのがいいと思うわ。
    勿論、手が届く幸せね。
    最初から手が届かない幸せを定義するのであれば、それは不幸になりたいって定義しているのと同義なのだから。
    語り部:
    なかなか深いことを云うね。
    セピア:
    だって、これは私の物語だもの。
    お花さん:
    みんな、みんながセピアを構成する。
    語り部:
    いいね。
    終わる前に、一つ次の話に行こう。
    セピアのお花さんを摘み取った人が、吉里吉里版とは変更になっているね。
    セピア:
    そうね。
    吉里吉里版は私の心の中の登場人物ーーイメージとしてはガラスだったのかな…?が世界を壊したわね。
    お花さん:
    セピアは「歪」の主人公。ガラスはただの「脇役」。脇役である事が許せなくて、自分の物語を作りたくて世界を壊した。壊れた世界なら、「外」に出られるかもしれないーー。
    セピア:
    そもそもの思想は、「すべての人にはその人が主役となる物語がある」と云う思想。
    だって、私には私の、あなたーーこれを読んでくださっているあなたの人生と云う物語がある。
    私はあなたの世界では脇役だけれど、あなたの世界では主役なの。
    語り部:
    で、それが変更になったと。
    お花さん:
    セピアの云うその思想は、ちょっと解りにくいかなって。
    こうやって説明しないといけないけれど、あの物語に説明を含めるのは野暮だし。
    セピア:
    と、まぁ「私の内部の人間(キャラクター)が世界(私)を壊す」よりも「私の外部の人間が私(の思想)を壊す」の方が理解しやすいかなって。
    子供がお花さんと会話してたらそりゃあ親はどうにか是正しようとするでしょうーーって結構多くの人が簡単に想像つくんじゃないかって思うのよ。
    語り部:
    なるほど。あ、あともう一つ。
    セピア:
    何かしら?
    語り部:
    セピアの、背中のチャックの中。イメージイラストでは何かがいるみたいだけれど、なんだろうか。
    セピア(中身):
    (出てくる)
    語り部:
    お花さんは驚かないんだね。
    お花さん:
    それも、セピアだから。
    セピア:
    「欲望」かしら。誰だって、自分の中に押しとどめているナニカはあるでしょう?
    それらを押しとどめて、私は私を形成しているの。
    語り部:
    もう少し、深く知りたい気持ちもあるが、そろそろ終幕のようだ。
    セピア:
    私の物語、楽しんでくれたかしら?また最終日に顔を出すわ。ばいばーい!
    お花さん:
    また、ね。